それでもワインが飲みたい

土日更新の脱力定期ワイン便です

L'extase matérielle


神内神社(こうのうち)の外観

丁度10年ぶりに訪れた熊野は無料のハイウェイが開通されて移動速度という意味で交通の便が格段に良くなったとはいえその本質的な美しさは何も変わっていることがなく、(一般的には人がありのままの景観や神秘的な雰囲気を壊してしまう)変わっちまったのは俺の方だ 笑 とまざまざと感じてしまいました。通常この辺りだと熊野三山(本宮、速玉、那智)とそれに付随する神社を巡るのが一般的だと思うのですが、折角なので特別にしておきたい場所をうっかり書いてしまいます。
情報化社会なのでそれでも昔より知っている人は増えてはいるのですが、ここにきて観光で来ている他人様と会った事が1度もないのは場所が三重と和歌山の丁度県境にありどちらから入ろうが1番不便なところにあるというのも理由の一つかもしれません。自分も含めて人が来ないというのが何よりも大事になります。
まず圧倒されてしまうのが、森で囲われた岩のドームという印象で、この地は海と山が出会う場所であり海面から上がってきたものなのか空から降ってきたものなのか様々な想像を駆り立てられます。信仰の起源と思われる形がほぼそのまま残っており、300種類以上の植物が生息しています。少し外を歩いて畑仕事をしているお爺さんに話しかけられたのですが、子供の時から何1つ変わってないと言われていたのは、然もありなんと強く思うしかありません。そして昔は岩の頂上まで登って遊んでいたというのを聞いて驚愕してしまうのでした。

参道

鈍い自分が思うのだから感性が鋭い方などはその敷地に入った瞬間にパッと空気感が変わってしまうことにすぐ気づくと思います。また参道横には水が流れており水の流れに緩急がある為、微妙にHzとピッチと音階をずらされた旋律が無限に奏でられていて場の空気感と相まってメディテーション効果、もしくは落ち着きを持った軽いトランス状態に入って行ってしまうのがわかります。


御神木

この場自体が聖地だと思うのですが、そういうところは威厳や厳しさを感じさせるものが多いものの、この場はそんなものは微塵も感じさせず何かに包まれているような気にされてしまうのはきっと自分だけではないですし、人間の根本的な欲求には母胎回帰願望(重力からの解放とでもいったところでしょうか)があると言われる所以が肌感覚としてなんとなくわかるので、そういったことにも頷けてしまいます。


岩と木々が絡みあう

一体どんな風雪に耐えてきたのでしょうか?
ま、こういう場所では余計な事は考えずただただ身を委ねてしまうのが1番良く、そろそろ俗な世界に戻るか…などと思ってしまうのでした。笑

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