これまでの旅してきた事はかなり多く書けると思うのですが、残念ながら面白い話というのはブログに書けないどころか空気にすら乗せられません。ま、これが1つのテクノロジーの限界。(なんだそれ)笑 ただ旅をして新しいものを見て外に向かって配信というのも大事なのですが、自分の場合は自分の心にどんな変化が起こるのか静かに見つめていたいというのがあります。それ故に今まで見てきたものなどについては殆ど記述しないできたというのがあります。今回あまり人が行かないところに出て行ったのでまとまらないながら記録だけしてみたいと思います。
八畳岩からの景色
1.大体の目的地は決まっていたが2通りのルートの選択に最後まで悩む。
2.そのほかはノープラン。ホテルすらもノーリザーブ。
3.奈良の吉野を回って熊野に出るか、尾鷲を経由して熊野に出るか。悩んだ末に前者は何度も通ったことがあるので後者を選択。
4.尾鷲神社からスタートして最初の目的地が岩屋堂だったのだがそこにいくまで迷いに迷う。入口にすら立てないという焦燥感。
5.尾鷲神社で人のいいお爺さんがわざわざダンボールに地図まで書いてくれたのに全く入り口が見つからず車で40分も使ってしまう。わかってしまえば10分といったところだったか。
書いてもらった地図
6.途中、入口を何人かの人に聞いたのだが皆首をかしげている。そもそもがそういうところなのだ。
入口
7.そこから石畳の道をひたすら登る。石畳はしっかりとあるがなかなか勾配がキツく舗装はされていない。息も上がる。
8.わかっていた事だが1人も人はいないし最後まで誰とも出会わなかった。
9.その場合、自分の身に起こる事は全て必然になるのだろうか偶然になるのだろうか?
10.朝、ラジオで流れていた安易な登山に気をつけろという専門家の言葉を思い出しながら自分を恨めしく思う。
11.伏線はしっかりとはられていたのだ。そもそも山に登るとか1番嫌いだったではないか。
12.後ろを振り返って下山したい気分にかられるがかなり強い気持ちで我慢する。
13.人生と一緒で振り返っても碌なことはないのだ。後悔とか反省とか自己嫌悪が1番心身に悪い。
14.何かの時のためにおにぎりを一つ持ってあるのが少しの心への慰めか。
15.道の分岐点に合うが岩屋堂に向かう。
16.歩いていてうすうす気づいてきたのだが、ここは霊場だろう。普通の山道を清々しく登っている気持ちなどには心底なれない。
17.風が木々を揺らす。風は揺らされるものがあって初めて感じるを超えて目にすることができると知らされる。
18.目の前に鎮座している岩屋堂はやはり異様な光景で、ここに何かしらの磁場があるから人が集まるのか、人が集まるから特殊な磁場が形成されたのか。
岩屋堂
19.言葉は慎重に選ばなくてはいけないが、この世であってこの世から遠い場所。故に霊場となりうるのだろう。
20.こういうところではそもそも思考や言葉など届かないものなのだ。
21.ゆっくり登ってゆっくり下る。これはなんのアナウスだっただろうか?下山で迷い人などまっぴらごめんだ。
22.20mくらいの頭上から何か物音がする。
23.その20m先の物音はただの20mではない。20m分”何かヤバいもの”を情報として引き連れて伝えてくるのだ。畏怖の念が心を支配する。
24.心拍があがりながら無事に下山。多分今回の旅は石を巡る旅になるだろうと予感するものが心にあった。